残像のなかに、蝶ヶ岳、常念岳

安曇野インターをでると目の前に蝶と常念が
その時の風景が記憶の中の残像としていつまでも残ることがある。
あれはもう5年も前のことだったか。友人たちと5人連で北アルプスの燕から常念まで、いわゆる表銀座を縦走した。縦走二日目の朝、常念山頂でご来光を仰ぎ、そのときに見下ろした蝶ヶ岳への尾根道が眼に焼きつき今でも鮮明に思い浮かべることができる。たとえ短い二日ばかりの縦走とはいえ、この先の蝶へとつづく尾根道に後ろ髪を引かれるようにして下山した。その時に見下ろした風景がいつまでも脳裏に画像として残っている。風景というものはその時の思いと重なったときはじめて自分の思い出として残るものだ。
そんな記憶が今度の計画のきっかけになったことは間違いない。ことしも大きな山に入れるのもあと数週間。紅葉を〆としてどこの山小屋もシーズンを終える。晴天が約束された週末に私は二泊で北アルプスにでかけることにした。一人旅には静かな山道がいい。上高地や涸沢の喧騒をさけ、安曇野側から蝶に登り、そして記憶の中に一時停止されているあの常念への尾根道を登ってみることにした。

安曇野インターをでて針路を西にとると目の前に蝶、常念、大天井の山々が見える。その山脈に向かって車を走らせると安曇野の街を抜け沢沿いの山道となり三股という登山口で行き当たりとなる。ここが今回の出発点になる。いまから歩くと午後の早い時間に最初の宿泊先である蝶ヶ岳ヒュッテに到着するだろう。そこまでの急登は地図の等高線をみれば明らかだ。木漏れ日が差し込む樹林帯に沢の音が響く。道は明瞭だ。ときおり見える常念の雄姿を見上げながら順調に高度を上げていく。やがて予測したとおり道は急斜面の登りとなる。だいぶ上がってきたはずだ。立ち止まると肌に冷気を感ずる。常念を見る角度も低くなり、見上げる道の向こうに青空が見えてきた。尾根はもうすぐだ。
三股登山口から常念を見上げる


中腹から。常念を見上げる角度も低くなってきた

樹林帯はハイ松帯に変わりやがて蝶ヶ岳につづく尾根に達した。その尾根を10分ぐらい登ると広いなだらかな山頂となり、その下にヒュッテは建っている。尾根の西は梓川を挟んで穂高連峰が連なり、東は安曇野の向こうに浅間山、八ヶ岳が遠望できる。南には小さく富士山が。北は常念へ尾根道が続いている。白い岩稜帯が待ち受けるあの尾根道を明日は登るのか。
蝶ヶ岳より穂高を見る

早朝の出発

蝶ヶ岳の朝は寒い。氷点下だ。5時半のご来光を仰ぎ、ヒュッテの朝食をいただき、さあ常念へ。同宿の元気な登山者たちは常念の先、大天井までいくとのこと。おどろきと、ほんの少しの期待感とが交錯する。もしかして私にも歩けるかも。その小さな期待感をひそめ、薄暗い登山道を常念へ向かっていく。いくつかのピークを超え、とうとう常念への取り付きに達する。見上げると登山者が岩の間に蟻のように動いているのが見える。地図で確認すると標高差は300m超の岩稜斜面。
だんだん常念が近くなる

いよいよ岩稜登り開始だ

小休止の後、自分に掛け声をかけ登り始めた。岩に着けられたマークを頼りに登っていく。足を踏ん張ると重いザックが肩に食い込む。少し油断するとバランスが崩れ、あわてて岩に手を置き身体を支える。ここまで酷使してきた膝も痛み出した。懸命に自分を叱咤して、目先の岩間を縫うように高度を上げていくと岩の向こうから突然に山頂の喧騒が聞こえてきた。常念山頂だ。ああ、あの声は5年前の自分だ。常念山頂から槍を見て、穂高を見て感嘆の声を上げていた自分が蘇ってきた。そうだ、あの時は私も彼らと同じように感嘆の声をあげていた。ここまで常念岳の向こうに隠れていたいた山々の姿もいまは眼前に広がっている。そして5年前、あの時見下ろした蝶への尾根道に眼を向けると、歩いている自分が見えた。まるで描きかけの絵が仕上がったような気分だ。
常念山頂はもうすぐだ


天上の昼寝

月光の常念

紅葉の常念
朝日を背に常念へ登る人

一の沢を下る













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