大山参り


2014年10月12日

思い立って大山へ




このところ10月の連休は紅葉の南アルプスを訪ねていたのだが、今年は台風来週、膝痛など、諸事情により泊まりの山行きは中止。何も予定をいれずに連休に入ったものの、ついつい心は山へ。そういえば先日都内中心部のビルに登ったところ、彼方に大山が遠望できた。多分、江戸時代は高層ビルもないし、大山が日常の風景に貼り付けられていたのだろうと思った。大山参りという江戸の遠足もこれで納得できたような気がした。そこで今回はその大山を久しぶりに登ってみることにした。

自宅窓から、左に見えるのが大山
大山山頂には阿夫利神社が建つ。中腹には下社。さらに麓は宿坊が並び、江戸の賑やかさが偲ばれる。大山登山のメジャーコースは宿坊の並ぶ登山口よりケーブルカーで中腹の下社まで登り、そこから山頂まで1時間ほど歩く。あまりにもメジャーなコースである。ケーブルカー駅に至る参道はお土産屋、豆腐料理屋が並ぶ。登山道はいつも大変な混雑である。何人も連れ立ってワイワイガヤガヤ歩くので、一人静かに山歩きなどとても無理である。そこで、かねてより歩いてみたいいと思っていた蓑毛から登ることにした。蓑毛までは秦野からバス。山頂まで標準タイムで3時間。


 江戸時代にタイムスプリット


弘化27年?と読める
女人禁制
秦野駅7時25分発、蓑毛行きのバスに乗り終点で降りた。登山客は5,6人程度。この時間のバスは30分に1本だけ。しばらくは静かに歩けるだろう。バス停よりすぐに登山道に入る。道は整備されて歩きやすい。登山道は木々に囲まれているので展望はない。尾根道をひたすら登る。道沿いの石碑や記念碑などがお出迎えだ。28丁目などとポイントを示す道標もある。どれも江戸時代のものだ。この道も古くからの大山参りに使われてたみたいだ。しばらく登りつづけ、中腹と思わしき場所でなんと「女人禁制」の碑に出会った。衝撃的である。歴史の声が突然に聞こえたような気がした。

現代に逆タイムスプリット


さらに登りつづけると登山道は下社からのメジャーコースと合流する。(蓑毛よりほぼ2時間)。辺りは一転してワイワイガヤガヤ、賑やかになる。メジャーコースを登る人はケーブルカーから降りて30分程度しか歩いていないため皆元気である。家族連れ、職場仲間、アベック、部活、実に判りやすい。江戸時代から現代に逆タイムスプリットである。これが江戸時代ならば先導師に先導された講中の人々が賑やかに登っていたのだろう。
合流地点に建つ碑。1716年に建てられたとの説明。
ここから前後を歩くグループの会話を聞きながら一気に山頂まで登りつめる。
山頂の鳥居



らに登っていくと下社からのメジャーコースと合流する。これまで歴史に包まれた静かな登山だったのが打って変わってルンルン気分に包まれた登山道となる。江戸から現代への逆タイムスプリットである。家族連れ、職場のグループ連れ、アベック、部活、実に判りやすい。そんな皆さんと山頂までいっきに登りつめた。



大山にはお弁当がよく似合う


山頂に到着したのは10時半。霧に包まれ眺望はなし。ランチには少し早いがどのグループもお弁当をひろげている。つられて私も自作の弁当をひろげた。今日は遠足気分をだすために自分でオニギリを作ってきた。大山にはお弁当がよく似合う。
願掛けする男、けっこう真剣でした

山頂は人で溢れている

カメラを見せ合って連帯感


下りは日向薬師を目指す。途中の見晴台までは下社へ下りる登山者と一緒。天気がよければ見晴台からも相模湾が一望できるのだが、残念。見晴台のベンチで休んでいると向かいのトレラン姿の男が私と同じカメラを持っていたので見せ合って挨拶をする。リコーGRだ。お互いに一人登山だし、連帯感を覚える。ここより日向薬師方面に下りる登山者は少なく、賑やかさから開放され静かな山歩きとなる。あのトレラン姿の男も私の先に行く。変に納得。
見晴台ベンチで休む人

伊勢原駅へ



やがて登山道は九十九折の下りとなり、1時間ほどで日向渓谷に達し、さらに沢沿いに歩くこと30分で日向薬師に到着。時計を見ると13時半であった。出発間際のバスが待機していたので、日向薬師散策はあきらめバスに飛び乗る。ここより20分ほどで伊勢原駅に到着。大山参りへの関心を胸に、新宿行きの急行に乗る。




里の風景



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