高尾歴史めぐりの旅


影信山から富士山と相模湖


高尾は小仏峠など旧甲州街道の要所であり関所や城があった。また真言密教の修験の山でもある。2月11日、相模湖から高尾まで縦走し、あらためて高尾の歴史文化を体験した。
国道を折れると鳥居が

寄瀬神社までは長い石段を登る

早朝5時に自宅をでて八王子駅で松本行きに乗り継ぎ相模湖駅に。下車した乗客は私を入れてほんの数人。無人の改札口を出て国道20号線を甲府方面へ、慈眼寺を目指して歩く。いつも車で中央道を走っているときに見える寺だ。道標に従い国道を右に折れ小道を登り始める。すると最初に目に入ったのはなんと寺の山門ではなく神社の鳥居であった。これは寄瀬神社の鳥居。その鳥居をくぐり、右手に慈眼寺を観ながら参道の階段を登る。まさに寺と神社が一体となっている。神仏混同の遺物だ。後で調べたら明治になって仏神分離がなされたそうだ。寺も神社も朝の静けさに囲まれていると言いたいところだが、実際は直下を通る中央道の騒音が鳴り響いている。
明王峠まではこのような杉林の登山道

神社の道標に従い九十九折の登山道を登り始める。この道は明王峠に達する。九十九折を登るとやがて道は杉林の中を等高線に沿った平坦な道となる。そして最後の急坂急階段を登ると尾根道の要所である明王峠に達する。ここまで相模湖駅からほぼ2時間半。この明王峠はいつもは沢山のハイカーで賑わっているがこの時間ではほんの数人しかいない。しかし朝の明王峠からは期待通りに富士山がくっきりと見える。休憩をかねてしばし富士を眺める。
明王峠から富士山、手前左は御正体山

さあここから高尾を目指して尾根歩きだ。道は暗い杉林の中を通るので展望はない。歩くうちに日が高くなり登山者の姿も多くなってきた。私を追い越す人、すれ違う人。残念だが私が追い越す人はいない。やがて堂所山のピークを踏み急坂を下り、まき道との合流点にでると高尾方面からきたトレラン姿の若い女性が立ち止まって迷っている。私が来たほうが堂所山のピークだと教えるとその女性は「陣馬に行くにはどちらが楽ですか」と尋ねる。もちろんまき道だと答えると「ありがとうございます」と言ってまき道を走っていった。このような質問をできるのは女性だからだ。男は見栄が邪魔をしてそんな質問はできない。
影信山までの尾根道

影信山山頂直下より

明王峠から高尾まではいくつかのピークを超えなくてはならない。しかしこの尾根道はピーク毎にまき道が用意されている。私はそのまき道への誘惑を断ち、実直にピークを踏みながら歩く。明王峠からほぼ1時間半で影信山に到着。時刻は11時。この影信山には2軒の茶屋がありベンチも用意されている。ハイカー達の休憩ポイントだ。ベンチからは遠く東京が一望でき、さらに振り返ると富士山も見える。今日はスカイツリーまではっきりと見えるではないか。私も荷をおろし、しばし展望を楽しんだ。
影信山山頂から東京を遠望

影信山茶屋の名物、山菜天麩羅

影信山の次のポイントは城山だ。そこでランチにしよう。城山まではいったん小仏峠まで下りてから上り返す。この小仏峠は江戸時代の甲州街道の要所である。関所もあった。城山も小仏城のあったところ。このあたりは八王子城など地形を利用した城があった。八王子城址は日本100名城に数えられている。
ハイカーたちを見守る道祖神

その小仏峠まで影信山からほぼ30分。そこにはかわいい道祖神が祀られている。昔はここを多くの旅人が通ったことだろう。江戸から甲州に抜けるにはこの甲州街道と青梅街道が主流であったようだ。
朽ちた小屋

小仏峠を過ぎ道は城山までの登り返しとなる。階段状の道をいっきに登りつめて城山の広場にでる。さあランチだ。ポットの湯で味噌汁を作りパンを食す。変な組み合わせだが暖かい味噌汁が身体に滲みこむ。
高尾山近くのもみじ茶屋、なめこ汁が名物

高尾山山頂の賑わい

山頂に掲示されていた遭難情報。60代、70代、転倒、転落。

ここから高尾山までもうすぐた。大勢のハイカーの流れに乗って高尾山に到着。いつものように山頂は大変な賑やかさだ。歩いてきた人、ケーブルで来た人、リフトで来た人。まるで駅前広場のような賑わい。ここに長居は無用。そのまま6号路を下る。
6号路の様子

高尾の霊場、蛇滝

6号路は沢沿いの道で蛇滝など霊場を通る。やがてケーブル沿いの道となり高尾山口駅に到着。高尾の歴史文化を体験する8時間の歩きであった。
お地蔵さんに見守られ

高尾山へのケーブル。日本一の斜度が売り。

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