かねてより行きたいと思っていた南アルプス白峰三山を縦走した
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2014年7月19日から小屋2泊で南アルプス白峰三山を縦走した
白峰三山への思い
2012
年の同時期、1泊で北岳に登ったとき、北岳の奥に連なる山々への思いを残し再度訪れることを誓って下山をした。北岳の雄大な姿と美しい高山植物群は来るも
のを圧倒する。何故か北岳の周りだけに咲くキタダケソウにも再会できるかも知れない。天気は不安定だが雨支度をしっかりと調え、さあ出発だ。
予定コース
19日:奈良田駐車場→広河原(バス移動)→右股コースで肩の小屋
20日:肩の小屋→北岳→間ノ岳→農鳥小屋
21日:農鳥小屋→西農鳥岳→農鳥岳→大門沢を下って奈良田
北岳(3193m)、間ノ岳(3190m)、西農鳥(3056m)、農鳥(3056m)すべて3000メートル級。2014年に国土地理院が標高を改定して間ノ岳は奥穂高とならび日本3位の標高となった。
さあ、登るぞ
19日朝、奈良田の大駐車場で支度を調える。5時半のバスにゆられ6時に広河原に到着。北岳は雲にかくれて姿を見せない。
広河原より。遠くに見える雪渓が大樺沢。このとりつきから右に折れ尾根を目指す。晴れていたら北岳が見える。
2年前の同時期に遠くに見える大樺沢の雪渓を登り北岳を目指したが今年は危険とのことで大樺沢のとりつきより右に折れて小太郎尾根に登る。
とりあえず大樺沢取り付きの二股までひたすら登る。うしろが広河原。
いよいよ急登開始
登ること2時間半でようやく大樺沢のとりつき、二股に到着。ここはトイレもあり、殆どの人が一休みするところ。
左奥の雪渓が大樺沢。雪渓が崩れ始めているので大半の登山者はここから右側に折れて小太郎尾根を目指す。いわゆる右股コースである。これからいっきに600mの標高差を登るためもっとも辛い場面となる。
急登で休む人
小雨模様のなか森林限界を過ぎると斜面は濃霧のなか一面のお花畑である
尾根に上がる
ここは遠慮して小さく
標高が上がるにつれ息もキレギレとなる。ようやく小太郎尾根に達した。このあと30分ほど尾根を登ると肩の小屋である。時間はまだ昼なので、北岳を超えて北岳山荘にいくこともできたが混雑が予想されるのでやめた。小屋前でランチをとり、午後は小屋でゆっくりとすごす。
同
宿の50代とおぼしき男性4人グループが明日は間ノ岳、農鳥を超え大門沢小屋までいくとのこと。「尾根歩きだから軽くいけるはず」などと言う。この言葉に
つられ、農鳥小屋に泊まる予定であった私だが、農鳥小屋の到着時間によっては大門沢小屋まで下ることを考えてしまった。
実はこれが悲劇の始まりであった。
天気予報だと明日は午後から雨模様とのこと。早達することにした。
二日目まずは北岳越え
朝5時すぎに山荘をでて北岳を目指す。青空に北岳がそびえたっていた。殆どの人は空身で北岳をピストンしている。荷を担いで上がることに多少の優越感を覚える。あくまで北岳は通過点。しかし、青空に心が浮かれ
これから起きる大変な事態の予感すらなかった。
北岳山頂よりこれから歩く峰々。中心の雪田が残っている山が間ノ岳、左奥にうっすらと西農鳥、手前が中白根山。いずれも3000m級。
北岳は大変な混雑。しかしこれから先に行く登山者は少ない。休憩もそこそこに先を急ぐ。
北岳の先へ
北岳山荘を通過したときはすでに登山者は出発したあとで静寂さをとりもどしていた。2年前に泊まったときを思い出す。間ノ岳に向う途中から北岳を振り返って撮影。すでに雲が山にかかりはじめている。
間ノ岳への道はお花畑が広がり、勾配もゆるく楽しいく歩を進めることができた。北岳山荘より空身で間ノ岳を往復する登山者が多い。間ノ岳も100名山に入っているからだろう。
この時点で何故か私は
農鳥小屋へのペースを速めていた。農鳥小屋到着時刻によっては大門沢小屋にいくことを思っていたからだ。間ノ岳山頂での休憩もとらず歩を進める。間ノ岳をすぎると登山者は極端に少なくなる。
11
時15分、農鳥小屋到着。正面左奥が西農鳥岳。有名な黄色ペンキの「ウケツケ」が見える。名物主人一人できりもみしているとのこと。本当ならこの農鳥小屋
で泊まる予定だったのだがペースを速めてきたのでまだランチ前の時刻である。これが判断を誤らせることになった。これなら大門沢小屋まで下りられる。そう
すれば明日が楽だ。なぜそう思ってしまったのか。冷静に地図をみれば大門沢小屋までコースタイム4時間50分。どう考えても大門沢小屋到着は4時半を回
る。しかもここまですでに5時間近く歩いている。正面の農鳥を超え、1200mの大下りもある。
65歳の身には明らかに無理だったのだ。
行くと決めた以上SOYJOY二本をランチ代わりにほおばり休憩もそこそこに出発。西農鳥への急斜面を登り始めた。
西農鳥より農鳥小屋を見下ろす。すでに疲労のため西農鳥まで標準コースタイム50分のところ60分を要した。
農鳥より西農鳥を振り返る。大登りの西農鳥を過ぎると今度は大下り。西農鳥と農鳥はほぼ同じ標高だからまた下っただけ登り返す。北アルプスなら「農鳥泣き」とか「農鳥乗越し」などと名前がつけらるような3点確保必須の難所もある。
このときはまだ後ろから肩の小屋で一緒だった4人グループがついてきていた。彼らが直後からついてきていることは私に安心を与えてくれた。
農鳥についたときはすでに強い疲労感。しかし時間に追われ、休まずに歩をすすめる。しかしすでにかなりペースが落ちている。雨も降りそうだ。大門沢小屋にはいったい何時に着くのだろうか。
大
門沢への分岐手前で4人の若者グループと出会う。道を確認するため「大門沢はこの方面でいいのか」と聞いたら「ワタシタチワァカンコクデス」との返事。そ
うじゃない私は道を確認したいのだ。ストックを上げ私も「ダイモンサワ ダイモンサワ」と言う。そうしたら彼らは「ダイモンサワ☆△×」と答える。嬉しく
なって彼らと握手をして別れた。こんな極限でアニュオンハセヨと国際交流できるとは。
ようやく大門沢への分岐点に到着。ここは遭難者の遺族が建てたつり鐘がある。私が2本目の釣鐘にならぬことを祈る。さあ、ここからいよいよ大下りの開始だ。
遭難予備軍発生
大
門沢を下りはじめると雨が降ってきた。すぐに若者2人組に追いつく。ペースが遅い。聞くと1人が膝を痛くしてしまったとのこと。ダブルストックにすがり、
つらそうに歩いている。荷はすべてフォローしている若者がしょっている。持参していた医者から処方された痛み止め錠剤とバンテリンを分けてあげる。しかし
あの痛さでは効かないだろう。がんばれとの声をかけて追い越していく。
すると今度は後ろから例の4人組のうちの1人が追い越していく。聞くと、グ
ループのうちの1人が筋肉疲労で大ブレーキになっているとのこと。自分が代表で先におりて小屋に遅くなることを告げるとのこと。当のブレーキになっている
男はグループで最も健脚とのこと。山歩きは恐い。若者の膝痛、健脚者の筋肉疲労。しかし私は自分のことが心配。あきらかに遭難1歩手前だ。
雨
足が強くなる。やがて大門沢の沢音が聞こえてくる。登山道は雪渓から流れ出る大門沢の最上流と合流だ。雨のなか地図をひろげ現在位置を確認。このあと道は
大門沢と平行して小屋に至る。時刻は4時。あたりは徐々に暗くなってくる。いまの自分の体力限界を7時と想定。多分いける。
雨の中こんな丸木橋をいくつか渡り樹林帯のなかを歩く。時刻は5時。やがて木々の間にうっすらと赤、黄色のテントが見えてきた。助かった。大門沢小屋だ。
小
屋で手続きをし後続者がいることを小屋番に告げ食事をとる。しかし後続者はなかなか下りてこない。心配だ。結局1時間後の6時に4人グループの残り3人、
膝痛の若者は8時に下りてきた。膝痛の若者は実は2人グループではなく先行して下りていた若者を含め3人だった。心配して待っているときに先行して下りた
男に聞いたところビバークセットも持っていないとのこと。雨が断続的に降るし本当に心配した。
それにしてもあの若者グループ。下りてきても心配をかけた私たちにいっさいの挨拶をしない。どうなってんだ。登山マナー以前の話だ。こんな連中、山になんか来るな。迷惑だ。
一夜明けて最後の下り
翌朝は残っていた非常食で朝食をとる。カレーメシにパン。このカレーメシ、なかなか美味しい。アルファー米だから軽いし、是非おすすめ。
大門沢は全長で2000mの下りだ。あと800m。3時間半の行程。しかし沢沿いのため今日は勾配はゆるい。
こんな丸木橋を何回も渡りながら沢を下りていく。木漏れ日のなか沢音の響きを聞きながら下る。O先輩がこの大門沢下りに感激していたがよくわかる。O先輩、おすすめの農鳥小屋に泊まらず、大門沢下りでも遭難しかけたことをお許しください。
行程最後の吊り橋を渡る。やがて登山道は舗装道路にかわり駐車場に至る。時刻は9時半。今回の山旅の終わりだ。奈良田温泉で汗を流し帰路につく。
今回の反省
1.計画は余裕をもってたてること。そしてよほどのことがない限り変更はしない。
2.疲れているときは思考能力も衰えることを認識すべき。農鳥小屋でなんで大門沢までいくことを決めたのか自分でもわからない。
3.西農鳥あたりで引き返すべきだった。遭難者はなぜ引き返さないのかわかった気がする。
4.南アルプスの小屋の間隔はほぼ半日かかることを認識べき。
帰宅後に二日目の行程を調べたが^累計標高差で登り1,000m、下り2,000mだった。かかった歩行時間も11時間以上だ。標高3000mの尾根でよくもこんなに歩いたものだ。65歳の男のすることではない。無謀だった。己の限界をよく知っておくべし。
おまけ
北岳頂上直下のハクサンイチゲ
これが有名なキタダケソウ。肩の小屋の主人がこっそりと教えてくれた。場所は秘密。
イワウメ
群生するキバナシャクナゲ
奈良田
小島鳥水のこと
明
治の先人、日本山岳会創始者小島鳥水氏は明治35年の紀行文で白峰三山縦走を報告している。今回と同時期に猟師を案内に油紙をテントにして人跡未踏に近い
白峰三山をほぼ今回の逆コースで歩いている。それも1泊で。紀行文では花の美しさにしきりに感動している。しかし彼らは雷鳥を食している。
南アルプスについて
今回の山旅は大いに反省するところでしたが、南アルプスへの思いはますます強くなった。次回はもっと余裕のある行程で赤石方面にいってみたい。
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