雪、花、紅葉、白馬岳

反安保法案の熱冷めやらず

反安保法案の熱を冷ますかのように始まったシルバーウィークの連休。口惜しさと敗北感、抵抗への思いが入り乱れ、なんともやりきれない。しかしウジウジしていてもしょうがない。敗けてたまるか、これからが正念場と決意を新たに白馬に1泊山行だ。コースは猿倉から入山→大雪渓登り→頂上宿舎泊→白馬大池→栂池。
9月14日、国会前

猿倉から入山

9月19日夜10時半、暗闇の猿倉駐車場に到着。途中、木崎三湖のほとりを学生時代に遊んだ懐かしさとともに走る。闇に包まれた猿倉の駐車場はすでに満車状態。かろうじてスペースを見つけ、そのまま車中泊。20日朝、冷気のなか、朝日に輝く白馬岳を見上げる。あそこまで6時間か。時間はたっぷりある。今日は雪渓歩きを楽しもう。
山荘前の賑わい

大雪渓が見える

7時、登山口の猿倉山荘で登山届けを出し、車の回送業者のポストに車のキーを入れ(下山先の栂池に回送してくれる)、さあ出発。始めは沢沿いの広々とした林道歩き。やがて前方に大雪渓らしき白い帯が見えてくる。見上げる大雪渓はすごい斜度だ。あそこを登るのか。やがて道は林道から登山道に変わりひたすら大雪渓に向かって歩く。8時、白馬尻小屋に到着。
正面に大雪渓が見えてきた

ここでおつかれさんと言われても、、、、

この小屋は大雪渓の入り口に位置し、殆どの登山者が休憩を取る。このままいけば昼過ぎには頂上宿舎に着いてしまう。そんなに早く宿舎についてもしょうがない。せっかくのご馳走はは丁寧に味わいたいものだ。時間調整もかねて、余裕の休憩を取る。小屋は大雪渓の下流先端に位置し、絶好のビューポイント。それに綺麗な空気に沢音、こんなところで一日中マッタリするのもいい。いやいや朝からビールでも飲んでいたいものだ。木々はすでに赤く紅葉し始めている。あと一週間もすれば燃えるような紅葉が始まることだろう。
小屋前で。紅葉のすばらしさを想像。

大雪渓突入

さあ大雪渓に向って出発だ。30分ほど沢沿いを遡るといよいよ大雪渓の取り付きに到着。殆どの登山者はアイゼンを装着。もちろん私も軽アイゼンを着けたが、雪は固く締まり、踏み跡もしっかりしている。これではアイゼンはおまじないみたいなものだ。現に身軽なトレランスタイルの登山者は着けていない。いちおうアイゼンの装着具合を確かめて、大雪渓に最初の一歩を踏み出す。
大雪渓をアリの行列ように登山者が列を作る

ザックを担ぎ、前傾姿勢で大雪渓を登山者の列は進む。まるでキャラバン隊だ。隊の先は靄の中に消えていく。この時間帯は、99%が登り、1%が下りの登山者だ。靄で見通しがないためどこを歩いているのか、全く想像できない。唯一時間だけが判断材料だ。
踏み跡もしっかりしているので歩きやすい

ひたすら無言で歩く

いまにも落ちそうな岩

大雪渓登りのコースタイムは2時間。つまり2時間でセットしたランニングマシンみたいなものだ。ただただ下を見ながら脚を運ぶ。おまけに雪渓の冷気のため、停滞すると寒い。途中、オアシスみないな小高い岩場を見る。その岩場を過ぎるとやがて正面にロープが現れ雪渓から白馬への取り付きへと導かれる。大雪渓歩きもここで終わりか。時刻は11時。

大雪渓終わり

白馬への急登にあえぐ

ここでアイゼンをはずし、あとは白馬をつめるだけと標高を確かめるとまだ1900を越えた程度ではないか。まいったな、まだあと700は登るのか。見上げると急斜面を登山道が続いている。白馬へのルートはこれからが核心部であることを知る。しょうがない、時間はたっぷりあるし、とりあえず12時まで登って、そこでランチタイムとするか。
アイゼンを解いて一休み

雪渓を歩き終えたのに次は更なる急登。これほどの急登となると登山者のペースもまちまちだ。ゆっくり登る登山者、休み休み登る登山者。みなこの登りがいかにキツイかをいろいろな悲鳴で表現する。登り始めてすぐに「とりあえず12時まで、そこでランチタイム」なんてとんでもない甘い考えであることに気づく。
登り始めは沢沿いの悪路

小刻みに小休止を繰り返す。ちょっとしたスペースには必ず登山者が休んでいる。遅れている者、後続者を待つ者、ここはみな自分のペースで登る。夫婦連れ、カップル、グループ、皆バラバラになってしまう。『妻知らず、彼知らず」といったところか。自然は過酷だ。
急登はどこまでも続く

50代と思わしき女性。すごい荷を担いで登っていく。しかも右手にストック、左手に三脚

やがて靄が晴れ、振り返ると自分は雲上を歩いていた。そして見上げると稜線がくっきりと見える。稜線はまだまだ上のほうだが、先が見えるだけ気分は明るくなる。そして足元には沢山の高山植物が咲いている。最高のランチポジションだ。小岩に腰をおろしゆっくりとランチ休憩を取る。ぶどうパンにインスタントスープ。至福の時。白馬を満喫だ。
雲上の人となる


さあ、最後の詰めだ。胸の中で叫びながら腰を上げる。相変わらず急登の連続だ。ここは高山植物を撮りながら歩こう。秋だというのに沢山の高山植物が咲いている。とりわけ紫紺のミヤマトリカブトが映える。麓のトリカブトとは異なり背が低く、花も密に咲いている。実はこの花がミヤマトリカブトという名であることは近くの登山者に教えられた。私が知っているわけがない。
ミヤマトリカブト

稜線直下の避難小屋から、中央に見える岩の向こうに小屋がある

花を楽しみ登りつづけるも、体力は確実に消耗される。一歩一歩がつらい。やがて頂上宿舎が見えてくるも、嬉しくはない。あそこまで行くのかというのが実感だ。さらに小刻みに休止をとりながら生き絶え絶えとなり上り詰め、頂上宿舎についたのが14時すぎであった。
ようやく小屋に到着。あと数段の階段がつらい

山小屋到着

白馬には二つの小屋がある。日本一の規模を誇る白馬山荘と村営白馬岳頂上宿舎だ。前者は絶景を見下ろす展望食堂、後者はボリュームたっぷりのバイキング料理で競う。私はもちろん食い気優先で頂上宿舎に予約を入れた。しかし来てみて驚いたことに頂上宿舎とは名ばかりで、山頂には白馬山荘のほうが近い。その昔、この二つの小屋は客取りを競ったそうだ。国鉄の駅前から登山者を取り合ったとのこと。いまはそれぞれ別のポジションで棲み分けている。これってポーターの理論だ。同じ土俵で競い合っても消耗戦になるだけ。それぞれ別の存在価値を競っているいい事例だ。頂上宿舎はベテラン(つまり熟年者)の登山者が多いような気がする。若者達はみんな白馬山荘だ。夕食を終えて稜線から日没に感動。7月に登った剱も雲上にそびえている。そして翌朝のはや立ちに備えてすぐに寝る。
暮れ行く稜線

月下に剱岳

天上の白馬山荘と白馬岳。下に頂上宿舎とテン場。

ご来光だ

21日4時半、まだ暗い。気温は7度。風が強いため体感温度はもっと低い。ヘッデンを照らして歩き始める。白馬山荘の前を通り、山頂に向う。やがて雲海の果てがだんだんに赤くなってくる。いよいよご来光だ。じっと寒さに耐え、日が出るのを待つ。やがて赤い小さな点がポツンと現れ、だんだんに大きくなり、山々を激しく照らし始める。漆黒の世界が赤くなりやがて透明な輝きの世界へと生まれ変わる。偉大な大地の時間。こんな大きなスケールを前にして、心の中に溜まった鬱屈した小さな思いはすべて解けてしまうようだ。いままで何回もご来光は経験してきたが、こんなに感動したのは始めてだ。何故だろう。いまの私の精神状態がそうさせたのか。それとも白馬のなせるワザか。この感動を私は生涯忘れることがないだろう。日の出はいい。希望がある。
漆黒の世界から赤の世界に

それぞれの思いで日の出を見る

天上の縦走路

さあ、気分爽快。天上の散歩だ。猿倉から見上げたあの稜線を歩くのだ。イメージしたとおり、天上の尾根道が延々と続いている。私は天上の人となる。前方に小蓮華山、後方は白馬三山、そして尾根から下方に地の白と赤く紅葉した草々と、緑のはい松が流れるような帯状の模様を作っている。山はまず草紅葉からはじまることを知る。
小蓮華への道
悲しいことに、この辺で3年前の5月に6人死亡の遭難事故があった

日本海側の斜面

ステキ、撮ってあげますと言われ、、、何がステキなのか?風景か、私か。
奥は鹿島槍方面

奥が下りてきた尾根、手前が白馬大池


白馬よさらば

小蓮華を越え、やがてナナカマドの紅葉が始まった白馬大池に下る。大池は栂池からの登りの絶好のポイントとなる。いつかこのコースで登り、鑓温泉までいってみたいものだ。ところが、ここからあとは栂池まで下るだけと思いきや、とんでもない大下りが待っていた。大岩の重なる急斜面を疲れた足を駆使して下る。いやいや最後にこんな試練が待ち受けているとは。ヘトヘトになって栂池のロープウェイに到着したのが13時。観光客に混りロープウェイの人となる。さよなら白馬、素敵な旅をありがとう。
しゃくなげは来春に咲く蕾をつけている

あとがき

急に思い立ち白馬へ1泊山行。今回も1人旅。登山とは無縁の大学の同窓生から「俺も白馬へ登ったことがある」などと聞いていたので気楽な気分ででかけた。実は7月に剱から眺めた鹿島槍が忘れられず、次回の山行は鹿島槍と決め、いろいろとシュミレーションをしていた。ところが9月20日は鹿島槍の山荘は予約で満員。ならば鹿島槍からの尾根続きの白馬に行こうと、相手を格下気分で甘くかかってしまった。頂上には日本一といわれる有名な山荘もあるし、ハイキングとは言わないが、「雪渓歩きを楽しむ」気分だった。ところが実際はかなりキツイ登りで、初日の標高差は1500もあった。これは上高地と穂高、槍の標高差に等しい。いつもなら事前に標高差など基本データを調べ、シュミレーションをして出かけるのだが、今回はイメージ先行で無計画に近い状態だった。遭難適格者だ。現に宿泊した小屋の遭難情報に「疲労」というのがいくつかあった。反省。

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